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東京地方裁判所 昭和35年(行)20号 判決

原告 南郷三郎

被告 国 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

原告訴訟代理人は「一、被告国は原告に対し、別紙物件目録記載の土地について昭和二五年四月二八日横浜地方法務局吉浜出張所受付第五〇一号をもつてなされた昭和二二年一二月二日旧自作農創設特別措置法第三条の規定による買収処分を原因とする所有権取得登記の抹消登記手続をなすべし。二、被告小松正太郎は原告に対し、別紙物件目録記載の土地について昭和二六年六月一九日同出張所受付第六三五号をもつてなされた昭和二二年一二月二日旧自作農創設特別措置法第一六条の規定による政府売渡を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をなすべし。三、被告小松正太郎は原告に対し、別紙物件目録記載の土地を明け渡すべし。四、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決を求め、被告国指定代理人及び被告小松訴訟代理人は、それぞれ主文第一項と同旨の判決を求めた。

第二、請求の原因

一、別紙物件目録記載の土地(以下本件土地という)は、もと原告の所有に属するところ、昭和二二年九月一六日真鶴町農地委員会は、本件土地を旧自作農創設特別措置法(以下自創法という)第三条第一項第一号に該当する農地として昭和二二年一二月二日を買収の時期とする買収計画を定め、被告国は右買収計画に基いて買収処分(以下本件買収処分という)をした上、右同日を売渡の時期と定めて自創法第一六条の規定により被告小松に売り渡し(以下本件売渡処分という)、請求の趣旨記載のとおり昭和二五年四月二八日買収処分を原因とする所有権取得登記、昭和二六年六月一九日売渡処分を原因とする所有権移転登記手続を了した。

二、しかしながら、被告国のした右買収処分は次のような重大かつ明白なかしがあり当然無効といわなければならない。

(一)  本件土地は農地ではない。すなわち、原告は大正九年ごろから別荘住宅地として分譲する目的で本件土地を含む附近約四〇〇〇坪の土地を逐次買受け、昭和一五年から一八年にかけ多額の費用をかけて整地し、道路、側溝を作り、宅地造成の上分譲していたものであるが、本件土地は見晴しも良いので将来自己の住宅を建築する予定で特に残し、生垣を植え宅地として整地し、昭和一八年一二月二八日には地目を宅地に変更した。そして右土地は昭和二〇年ごろまで更地のまま放置されていたもので、耕作の用に供されたこともなく、又周囲の分譲地にはすでに住宅が建設され、四囲の環境からみてもとうてい耕作の目的に供される土地とはいい難く、現況宅地というべきものである。もつとも昭和二〇年はじめごろ、本仕土地を整地した請負人力石宮次郎から食糧難の時代でもあり、一時家庭菜園として利用させてほしい旨懇望があつたので、原告としても戦時下で当分住宅建築の目算も立たないので、住宅建築が可能となるまで、一時的かつ無償で耕作を許したことはあるが、右は一時的な使用目的の変更であつて農地としての永続性はないから、本件土地を農地ということはできない。

(二)  本件土地は小作地でもない。原告は被告小松に対し本件土地の使用を承諾したことはないから同被告は本件土地を耕作する何らの権原も有しない。たとえ同被告が事実上本件土地を耕作していたとしても、それは原告が右事実を知らなかつたため結果的に耕作が黙認された形になつていたにすぎず、原告において右事実を知りながら被告小松の耕作を黙認していたことはない。

(三)  被告国の所有権移転登記嘱託書は本件土地五筆につきいずれも地目が宅地であるのに畑と記載されている。

三、本件売渡処分は右買収処分が有効であることを前提とするものであるから、本件買収処分が前記のとおり無効である以上、これまた無効であることを免れない。したがつて右売渡により所有権を取得したとして本件土地を耕作している被告小松は、なんらの権原なくしてこれを占有しているものといわなければならない。

四、よつて被告国に対し本件買収処分を原因とする所有権取得登記の抹消登記手続を、被告小松に対し本件売渡処分を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続及び本件土地の明渡を求める。

第三、被告らの答弁及び主張

一、被告国の答弁

(一)  原告主張の第二の一の事実は認める。

(二)  第二の二の(一)(二)の事実は争う。(三)は認める。

(三)  第二の三は争う。

二、被告国の主張

(一)  本件土地は農地である。すなわち、本件土地は原告が取得する以前から被告小松の父小松銀蔵がその所有者から借りて耕作していたものであり、原告が所有者となつた後も小松銀蔵は原告から本件土地の管理一切を任されていた訴外力石宮次郎から引続き耕作使用することの承諾をえて耕作し、本件買収の基準日である昭和二〇年一一月二三日当時(本件買収は遡及買収である)は、本件土地に甘藷等を栽培し、農地として使用していたものであるから、右基準日当時本件土地が農地であつたことは明らかである。

仮りに原告が主張するように、本件土地が原告において将来自己の住宅を建築する予定で昭和一八年ごろこれを整地し、地目を宅地に変更したものであり、その後右住宅が建築されるまでの間を限つて、小松銀蔵が力石の承諾をえて本件土地を耕作していたものであつて、本件土地は宅地とみるべきものであつたとしても、基準日当時本件土地の現況は肥培管理されていて農地の状況にあり、一見して宅地であることが明白ではなかつたのであるから、これを農地と誤認したかしは明白とはいえない。

(二)  本件土地は小作地である。右に述べたように、本件土地は基準日当時小松銀蔵が原告から本件土地の管理一切を任されていた力石の承認を得て耕作使用していたものであるから、小作地であつたことは明らかである。

仮りに本件土地が右(一)において述べたような関係で宅地とみるべきものであつて農地としてみるべきものではなく、したがつて小作地といえないものであつたとしても、宅地であることが客観的には明白ではなかつたのであるから、これを小作地と誤認したかしは明白とはいえない。

三、被告小松の答弁

(一)  原告主張の第二の一の事実は認める。

(二)  第二の二の各事実及び第二の三は争う。

四、被告小松の主張

(一)  本件土地は農地かつ小作地であつた。すなわち、被告小松の父小松銀蔵は大正初年ごろ以来原告の前所有者から本件土地を賃借し、耕作していたものであり、原告が所有者となつた後も、原告から本件土地の管理一切を任されていた力石から本件土地を含む三反の畑を賃借し、梶原忠太を通じ力石に対し小作料年一〇円ないし一五円を支払い、麦、甘藷、蔬菜等を作つてきたものである。昭和一五年七月ごろ力石から整地のため本件土地を一時返還されたいとの申入れを受けたのでこれを返還したところ、原告は本件土地を地均して、一部に簡単な排水溝を設けたが、被告小松は、昭和一六年三月再び力石から本件土地を期間の定めなく無償で耕作使用することの承諾をえ、爾来肥培管理を施し、麦、甘藷、馬鈴薯等を栽培して来たものであるから、本件土地が農地であり、かつ、小作地であつたことは明らかである。

(二)  仮りに本件買収処分が無効であり、被告小松に対する売渡処分が無効に帰し、これにより被告小松が本件土地の所有権を取得しなかつたとしても、被告小松は昭和二二年一二月二日本件土地の売渡しを受けてからは右土地が自己の所有に属するものと確信し、平穏かつ公然にその権利を行使して耕作占有を続け、現在に及んでおり、右権利行使の始め善意であつて過失がなかつたから、昭和三二年一二月三日民法第一六二条第二項の取得時効の完成により右土地の所有権を取得した。

第四、被告らの主張に対する原告の陳述

(一)  小松銀蔵が原告の前主から右土地を賃借し耕作していたことは知らない。力石が原告から本件土地の管理一切を任されていたこと、原告が本件土地を取得した後、小松銀蔵ないしは被告小松が力石を通じ引続き原告から賃借したこと、力石に対し小作料の支払をしたことはいずれも否認する。

(二)  被告小松の主張する取得時効は完成していない。

被告小松が昭和二二年一二月二日から本件土地につき所有の意思をもつて公然占有を継続していることは認める。しかし被告小松は本件土地が農地ではなく、又同被告が権原に基かずして耕作していることを知悉していたものであるから、当然本件土地に対する買収及び売渡処分が違法であることを知り、又は知りうべかりしものである。したがつて被告小松の占有はその始めにおいて善意無過失とはいえず、民法第一六二条第二項の要件を満たさないから、取得時効は未だ完成していない。

第五、証拠関係〈省略〉

理由

一、本件土地はもと原告の所有に属するところ、昭和二二年九月一六日真鶴町農地委員会は、本件土地を自創法第三条第一項第一号に該当する農地として、昭和二二年一二月二日を買収の時期とする買収計画を定め、被告国は、右買収計画に基いて本件買収処分をした上、右同日を売渡の時期と定めて自創法第一六条の規定により被告小松に売渡し、昭和二五年四月二八日買収処分を原因とする所有権取得登記、昭和二六年六月一九日売渡処分を原因とする所有権移転登記手続を了したことは当事者間に争いがなく、本件買収処分が基準日を昭和二〇年一一月二三日とする遡及買収であることは、原告において明らかに争わないから自白したものとみなす。

二、そこで本件買収処分に原告が主張するような重大かつ明白なかしがあるかどうかについて判断する。

原告はまず本件土地は農地でないと主張するが、成立に争いのない乙第一号証、甲第四号証、第五号証の一ないし五、第六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第三号証、証人浅岡信夫の証言により真正に成立したと認められる甲第七号証、証人梶原忠太の証言により真正に成立したと認められる丙第一号証及び証人力石宮次郎(但し後記採用しない部分を除く)、同浅岡信夫(但し後記採用しない部分を除く)、同梶原忠太の各証言、原告本人及び被告本人小松正太郎の各尋問の結果に検証の結果を合わせると、本件土地は東海道線真鶴駅から徒歩約一二分、標高約一〇〇米の高台に位置するものであるが、原告は将来住宅地にする目的で大正九年ごろから当時畑及び山林であつた本件土地を含む附近の約四、〇〇〇坪の土地を順次買い集めていたところ、昭和一五年春ごろ右土地を分譲住宅地として売却をはじめようとし、原告が代表取締役をしている尼ケ崎土地株式会社の専務取締役脇本悦郎を通じ、地元の土木請負業力石宮次郎に右土地の宅地造成を依頼した。そこで力石は、右土地を二〇区画に分けて地ならしをし、そのそれぞれに区画番号をつけ、その間本件土地の崖下を通つて右土地全体を貫通し両端は県道に通ずる巾三、四二米の道路を設置し、右道路の所要部分にはコンクリートの下水溝や土管、マンホール等の下水工事を施し、更に崖の一部には石垣による土留工事をする等、昭和一八年ごろまでの間に約五万円の費用を費して右土地を一応宅地として使用できるよう造成した上、「尼ケ崎土地分譲地」として売り出し、昭和一八年一二月二八日には右土地の地目を宅地に変更した。本件土地は右分譲土地の中でも一番高台にあり、海を見渡せる眺望佳良の地にあつたため、原告は将来そこに自己の隠居所を建築するつもりで、右土地だけは分譲しないよう指示したが、その余の土地は昭和一九年末ころまでの間に順次他に宅地として売却された。一方被告小松の父銀蔵は、専業農家として大正初年ごろから本件土地の一部を所有者から賃借して耕作していたものであり、原告が右土地を取得した後は、後記認定のとおり、原告から右土地の管理一切を委ねられていた力石の承諾をえて引続き本件土地の一部を耕作し、昭和三、四年ごろからは被告小松も耕作に加わるようになつたが、当時小松銀蔵は本件土地のうち約二反二畝を賃借し、小作料年一二円を力石と懇意な間柄にある梶原忠太を通じ(昭和一二年頃からは直接)力石に支払つていた。そしてその後力石の了解の下に山林を開墾し耕地をふやしたので、昭和一五年春ごろには小松銀蔵及び被告小松は、本件土地(但し一六三九番ノ一二の土地のうち西側四畝歩を除く)の外、真鶴町字下釈迦堂一六三九番の七、同所一六三九番の八及び一六三九番の二の一部を合わせた合計約三反歩の土地を畑地として賃料年一五円で賃借し、その余の土地もそれぞれ附近の農民が小作していた。ところが前記のように土地の整地工事が進むにつれ、順次力石から土地の返還を求められたので、昭和一五年夏ごろには小松銀蔵も賃借土地の全部を返還するにいたつた。しかし本件土地の整地が一段落した昭和一六年三、四月ごろ、小松銀蔵は再び畑地として使用するため、力石の了解をえて本件土地全部を原告が必要とするにいたるまでの間無償で借り受け、以後右土地を耕し、甘藷、麦、馬鈴薯等の作付けをしてこれを供出にあてていたが、昭和一九年夏ごろになつても右分譲地の南端に一軒、北端に一軒の家が建築されたのみで他はほとんど再び畑地と化し、野菜、麦、いも類等が作られていた。原告も住宅を建築するについてさしせまつた必要もなく、又身辺多忙であつて右を実行するだけの余裕もなく、そのうちに建築資材の入手困難と空襲の危険が加わつたため、結局これが実現にいたらず、本件土地は昭和一六年三、四月ごろから買収計画が定められるまで六年余にわたり小松銀蔵とその家族の使用に供せられていたもので、その間原告もしくは力石からなんら返還の請求を受けることはなかつた事実を認めることができる。証人力石宮次郎、同浅岡信夫の証言中右認定に反する部分は採用し難く、その他に右認定を覆すに足る証拠はない。

以上の事実によつて考えると、本件土地は附近土地とともにもと畑地であつたところ、所有者たる原告においてこれを宅地としてみずから利用し、又は他に分譲する目的で昭和一八年ごろまでに整地工事等を施して宅地としての外形を造成し、公簿上も地目を宅地と変更せられ、一旦は名実ともに宅地としての性質を具えるに至つたのであるが、原告自身は本件土地を直ちに宅地として利用する具体的な計画もなく、そのために従前これを耕作していた専業農家たる小松銀蔵及び被告小松において原告が実際に宅地として使用するにいたるまでの不定期間これを耕作することを許されて昭和一六年三、四月ごろから再び開墾し、その間戦争による資材労力の不足等の事情があつたにせよ原告から住宅建築のために返還の要求を受けることもなく本件買収計画決定の日たる昭和二二年九月一六日までの間約六年半にわたり耕作を継続し、いも、麦等を栽培し、これらの収穫物を供出の対象ともしていたのであるから、かかる耕作状況を以て建物敷地の一部を自家食糧補給のために一時的に開墾して耕作地として利用するいわゆる家庭菜園の如く宅地の一時的、臨時的利用目的の変更の場合と同視することができないことは明らかであり、右の客観的利用状況に照らして考えると、本件土地は被告らの耕作により再び自創法にいう耕作の目的に供せられる土地たる性質を取得するにいたつたものと認めるのが相当であるといわなければならない。被告小松らの本件土地使用の性格は整地前と整地後とでは一変し、整地後の使用は本来農地にあらざるものを開墾しその期間も宅地として現実に使用されるまでの間という不確定の要素がいつそう強く、その故にまた後記のとおり無償でもあり、現に被告小松も永年性作物の植付をさしひかえていたこと等において通常の農地に比して何ほどかの暫定性を有することは否定し得ないけれども、このことは当時の見とおしとして近く本来の宅地として使用されることを相当とするようなかくべつの事情の認められない本件において、現に宅地として使用されないかぎり本件土地が客観的に農地たるの実質を有することを否定せしめるものではないと解するのを相当とする。よつて本件土地が農地でないとする原告の上記主張は理由がない。

三、次に原告は、被告小松に対し本件土地の使用を承諾したことはなく、同被告はなんら権原にもとづかずして本件土地を耕作したものであるから、本件土地は小作地でないと主張し、被告らはこれを争い、右耕作については小松銀蔵ないしは被告小松が原告から本件土地の管理一切を任されていた力石の承諾を得たものである旨主張する。昭和一六年三、四月ごろ小松銀蔵が力石の承諾を得、以来本件土地を畑地として使用していることは前認定のとおりであるから、次に力石が本件土地を貸与する権原を有していたかどうかについて判断するに、原告本人尋問の結果によれば、当初原告は実弟四郎らのすすめるまま本件土地及びその周辺の土地を購入したものであるところ、右購入にあたつても現地を見たわけでもなく、土地の現況や耕作者との関係等についても深い関心をもたず、右土地の管理一切は右売買のあつせんをした湯ケ原の旅館業中西某に委ね、大正末ごろからは前記脇本悦郎に依頼し、更に右中西ないしは脇本を通じ地元の力石に一切の管理を託していたものであり、整地がほぼ終了した後はじめて右土地を検分したというような状況であつた事実が認められ、前掲丙第一号証及び梶原証人の証言並びに被告本人小松正太郎の尋問の結果によれば、力石は自ら右土地の管理人と称し、永年にわたり右土地の耕作者である小松銀蔵梶原忠太から小作料を徴取している他、宅地造成に際しては小松銀蔵らに対して土地の明渡しを求め、又本件土地のうち一六三九番の一二のうち西側四畝はもと梶原忠太が耕作していたものであるところ、力石の指示により梶原は右土地を明渡し以後小松銀蔵に貸与せられる等土地の使用関係はすべて力石によつて決定処理せられ、原告からはこれに対してなんらの異議も挾まなかつた事実が認められ、右認定の諸点に、浅岡証人、力石証人の証言により認めうる力石は地租の代納、土地の見廻りのみならず、分譲土地の売買に関する交渉、細目の決定処理、代金の受領、所有権移転登記の申請等を一切原告から託されていた事実及び原告自身も整地後分譲地を視察し、その一部が畑地として使用せられている事実を認めながらこれを黙認していた事実、並びに梶原証人、浅岡証人、横山証人の各証言被告本人小松正太郎尋問の結果により認めうる力石は分譲が始まるころ、分譲地附近の数ケ所に「尼ケ崎土地分譲地管理人力石宮次郎」と明記した立札を立てており、その近隣において同人が右土地の管理人であることは疑う者がなかつた事実を総合すれば、原告は力石に対し、右土地の整地及び売買に関する細目的事項についてのみならず、土地売却ないし現実の使用にいたるまでの土地の利用に関する事項をも含め、包括的な管理権を与えていたものと認めるのが相当である。力石証人の証言及び原告本人尋問の結果中上記認定に反する部分は採用し難く、その他に右認定を覆すに足る証拠はない。

はたしてしからば、右力石は本件土地利用の一態様としてこれを他人に無償使用せしめることもその権限内に含んでいたものというべきであり、結局小松銀蔵は昭和一六年三、四月ごろ原告の代理人たる力石との間で使用貸借契約を締結し、主として被告小松において右契約にもとづいて本件土地を耕作していたものというべく、本件土地が「小作地」でないという原告の右主張もまた失当である。

なお原告は、所有権移転登記嘱託書の地目欄の記載に宅地を畑とした過誤があるから本件買収処分が無効である旨主張するが仮りにそうだとしても右は買収処分自体を違法ならしめるものではないから、右主張は主張自体理由がない。

四、以上の次第で本件買収処分が無効であるとする原告の主張はすべて理由がないから、右処分が無効であり、原告が本件土地の所有者であることを前提とする原告の本訴請求は理由なきものとして棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武 中村治朗 寺岡泰)

(別紙物件目録省略)

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